無駄なく青山 審美歯科
常に「チェンジ(変化こが唱えられるアメリカでは、「チャレンジ(挑戦)」がすべてのものに優先される。
そのことで人々は繰り返し新しい試みに挑戦する。
マニフェスト・デスティニーはいまも彼らをフロンティアに駆り立てる。
しかし、その大胆な試みはしばしば「クラッシュ(破綻)」という結果を生み出さざるを得ない。
それでも、そこからの脱却策としていま新しいチェンジが、新しい未来として永劫回帰のごとく再来しているのである。
日本はこれからどうなるのだろうか。
アメリカやヨ−ロッパ諸国に比べて、サブプライム問題による損傷が少なかったので、これからはチャンスだという論者も多い。
しかし、問題はそれほど単純ではないだろう。
たしかに、日本経済はサブプライム問題による金融機関の被害が少ない。
しかし、株価の下落に見られるように、経済全体での影響はとても楽観できるような状態ではない。
日本は輸出先であるアメリカと中国の経済低迷による被害を、そのまま受ける経済構造にある。
しかも、日本がこれまでアメリカ発の経済改革に、繰り返し安易に便乗してきたことを考えれば、そう簡単にこれからの見通しが成り立つわけがないのだ。
これまで、日本は経済策においてどのような方向に向かっていたのだろうか。
それはいうまでもなく「構造改革」であり「小さな政府」だった。
K政権でピークを迎えた構造改二つの「感染」にどう立ち向かうか革路線は、IT(情報技術)を用いるにせよ、金融技術を用いるにせよ、「グローバリゼーション」を前提として労働生産性を向上させ、資本生産性を上昇させることが、日本経済に活路を拓くとされていたのだ。
IT革命がアメリカ発のものであったことは、容易に了解できるだろう。
アメリカは九○年代のインターネット・ブームをきっかけに、IT(アメリカではICTU情報通信技術と呼ばれた)ブームが拡大し、それはやがてバブルの様相を見せ始める。
このとき、日本ではアメリカ以上のIT礼賛が巻き起こった。
ほとんど幻想だったITによる短期的な労働生産性上昇は、構造改革の大きな柱と見なされていった。
今回のアメリカにおける金融革命についても、事情は同じようなものだった。
アメリカで金融工学による金融革命が持て嚇され、ファイナンス理論が資本生産性の向上を高らかに躯いあげ、M&A(企業の合併・買収)が称賛された。
日本でも金融工学の入門書が飛ぶように売れ、ご都合主義的なファイナンス理論に基づいて企業は利益追求だけでいいとされ、M&Aが停滞した日本経済を活性化すると論じられた。
注意すべきは、こうしたブームが、アメリカのT銀行に主導された金融バブルを背景にしていたという点で、ひと繋がりのものだったという点である。
滑稽なことに、日本ではいまやこうしたIT革命と金融革命も、すべては流行りのキャッチ・コピーでしかなかったことが明らかになってしまった。
もちろん、ITや金融は経済にとって重要であり、労働生産性や産業効率化も大いに必要だが、それがマネー・ゲームによってもたらきれるという点が、まったくの幻想だったのである。
そして、この根底にはグローバリゼーションは歴史的必然であり、これからさらに急進するという根拠のない「物語」が存在していた。
これまでの日本経済を見直す言いに手がかりになるのは、ヨンティジョン(感染)」という言葉だろう。
ここでは、ITブームや住宅ブームをバブルに成長きせる「社会的感染」だけではなく、感度のよすぎる金融システムが導入されたために生じる「金融的感染」の弊害についても見ておく必要がある。
まず、社会的感染から始めよう。
Sさんが指摘していたのは「ニュー・エラ物語」がH氏やM氏の企業が英雄として持て灘された時期があった。
いまから思い返せば、悪質なアメリカ型金融ビジネスのパロディのようなものだった。
二つの「感染」にどう立ち向かう力に広がっていくことで、IT革命や住宅ブームがあたかも歴史的必然であるかのように感じられる現象だった。
こうした物語は、初めはささやかな思い込みに過ぎないが、それが感染していくうちに社会の雰囲気を支配してしまい、疑いを持つのは少数派になってしまう。
こうした「感染」は病理学の言葉が使われているように、自然現象のような過程として論じられている。
しかし、全体をマクロ的に見ればそうであっても、個々の問題をミクロ的に見た場合には意図的な感染も存在する。
たとえば、住宅バブルのさいにNAR(全米不動産協会)のチーフ・エコノミストである人が書いた『あなたは不動産ブームで儲け損なっていないか』という著作があった。
これなどは、入門書を装った不動産投資を勧めるための宣伝パンフレットで、二○○五年二月に刊行された。
ところが、翌年二月になって、不動産への投資に陰りが出てくると、同じ内容なのに『なぜ不動産ブームは破裂しないのか』というタイトルに変えて、さらにブームの社会的感染を煽ったのである。
こうした例などはまだ一業界の性質の悪い情報操作ということができるが、政治的な力が大規模に作用することもある。
世界中をバブルに巻き込んだITブームの言いには、アメリカの経済界だけでなく、アメリカの経済学者や政治家たちも、本当に信じ込んでいたか否かはともかく、IT革命が本物だという物語の形成にかなりの度合いでコミットしていた。
米経済界はこれで一儲けできると踏んでいただろうし、また、米経済学者は知的興味から「賭けてみてもいい」と思っていたふしがあり、さらに、米政治家たちはそれを自分の政治力に結びつけようとした。
しかも、彼らは、このブームを世界的なものにしようと試みた。
かくして、二○○○年に日本で開催されたサミットは、「ITサミット」などと称されて、エレクトロニクスの日本に相応しいということになっていたが、アメリカのIT産業にとってのビジネス・チャンス拡大の機会以外の何ものでもなかった。
実は、このサミットの愛称は、最初「ICTサミット」という案が有力だった。
つまりアメリカの呼称が主導していたのだ。
ある外務省の審議官クラスの人物は、このことをあっさりと認めただけでなく、「正確な言い方」でなくなったのが残念だと述べていたほどだ。
しかも、このサミットの最中に、東南アジアなどから「ITの援助などより水利の援助をしてもらいたい」という批判がでてきて、ITをビジネスにしようとしていたアメリカを中心とする先進諸国の代表は立場を失う場面もあった。
同じように、グローバリゼーションを前提とした金融革命の呼び声も、アメリカの経済政策の一環という性格がきわめて強かった。
ビッグバンや金融における規制緩和が、どれほどアメリカ政府の「要望」のもとに遂行されたかという問題は、ここでは触れないことにするが、すでに何人かの論者が実例をあげつつ指摘してきた。
しかし、こうした政治的圧力を用いた経済策が奏効するには、金融革命のイデオロギーが流布していなければならない。
「金融技術の応用によって、実体経済も活性化する」という思考法が広まっていなければ、他の国に協力を求めることは困難だからだ。
八○年代のアメリカ経済はM&Aが横行したため、産業が疲弊したことはデータにおいても明らかだった。
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